10年程前のことになりますが、お釈迦様が2500年前に「掃除の功徳」を説いていたということを、博多駅前の街頭清掃を20年間お世話されている「博多掃除に学ぶ会」の帆足行敏先生から教えていただきました。
自心清浄(自分の心が清められる)
他心清浄(他人の心まで清めることが出来る)
諸天歓喜す(周囲の環境が活き活きしてくる)
端正の業を植ゆ(人の心も物事も整って、新たな美しい種が育つ)
命終の後、まさに天上に生ずべけん(死後、必ず天上に生を受ける)
この20年間、毎朝掃除を続けてきて、正にこのお釈迦様の「掃除の功徳」は実践真理であると、つくづく思う今日この頃です。
私は、 今から22年前の1991年11月に鍵山相談役と出逢い、「20年間、毎日、トイレ掃除を続けてきました。そのお陰で、人生も、会社も変わりました。掃除を通じて、世の中から心の荒みをなくしていきたい。」との言葉に誘発され、翌日から、近くの神社境内の掃除を始めました。
毎朝、駄菓子の袋や紙屑で汚れ放題だった境内の掃除を行うことで、少しづつ美しくなっていくことへの喜びと満足感。そして、ゴミが少なくなった境内で遊ぶ子どもたちが、ゴミを持ち帰ったり、ゴミ箱へ入れたり。そして、付き添いのおじいさんたちが、壊れた遊具を直したり、ペンキを塗り直したりするようになりました。
神社境内が美しくなって行くほどに、神社らしさが生まれ、お社が、石垣が、造り直されました。そして、トイレも立派なものに建てかえられ、神社の由来を書いた案内板まで出来て、みんなが大切にするようになりました。
また今では、境内の新設されたトイレを使い、社員の人たちが自主的に、毎週火曜日の朝7時から交代で「トイレ掃除研修」を行い、社外の人たちも参加するようになりました。そして、この研修で学んだ人たちが、会社は勿論、学校や地域へ行って、掃除のお世話をするほどになってきました。
この事例の他にも、荒れた学校が、荒れた地域が、倒産寸前の会社が、難病に苦しんでいた人が、人生に行きづまった人が、掃除を続けることで、立ち直っていった話を多く聞くことができています。
掃除は、総てを包含し、本来持っていた良きものを引き出していく力があります。身を低くして汚れに近づき、総てを受け入れ、謙虚な気持ちで取り組んでいけば、必ず道は開けていく、ということを学んだ20年でした。