先日、ネパールの村で24年間にわたり、村人たちの為に尽くしている垣見一雅さんが、21世紀クラブの講演で恵那に来てくれました。垣見さんは、その村ではOKバジと呼ばれ、国王よりも有名人だと聞いて驚きました。
それは、垣見さんが、村人の困り事には何でも相談にのって村人を助けてきたからです。特に、学校は200校舎以上つくり、橋、道路、井戸、診察所等々もつくってきました。それゆえに、「何でも相談にのって引き受けてくれるおじいさん」と言うことで、OKバジと呼ばれるようになったとのことです。
垣見さんは、毎年、ネパールが雨期になる6月から7月、日本に来て報告会や講演会を行い、集めた募金で支援活動をされています。今年は二人の校長を同行してこられましたが、「日本は天国のような国なのに、どうして年間3万人もの人が自殺するのですか?」と聞かれたとの事でした。
確かに、ネパールの村々では、まだ水道は少なく、村に一か所水槽がある程度。体を洗うにも、川に行って洗うか、コップ一杯程度の水で体を拭く程度とのこと。また、共同トイレがやっとできた程度で、家も一間か二間の生活です。
停電が多く、冷蔵庫は使えず、食事も質素で豆料理が大半のようです。学校に行くにも何キロも歩き、倉庫のような建物の中での勉強です。遊ぶ用具もなく、ボール一つでもあればみんなの宝物のように重宝しているとのこと。そんな生活なのに、みんな幸せそうに暮らしているとの事です。
逆に日本では、各家に水道があり、自由に水が飲め、風呂もあり、ウォシュレット付のトイレもあり、冷蔵庫を開ければ食べたいものが詰まっていて、部屋には冷暖房がついている。そして、学校も近くにあり、仕事も自由に選べ、何不自由なく生活でき、ネパールの人たちと比べたら、まるで天国のようです。それなのに、なぜ日本の人たちは幸せだと思わないのでしょうか、不思議です、と言われました。
ネパールでは、朝起きた時から家族全員が役割を分担して働きます。また、村においても、互いに助け合って生活していますので、一人一人の存在が大変重要となっています。
どうも、人間の幸せは、物の豊かさだけでは得られるものではなく、心が満たされるかどうかのようです。日本のように豊かになればなる程、個でも生きられるために人間関係が希薄になり、自分の存在感がなくなっていくのではないでしょうか。その疎外感が「不安感」を増長し、「不幸な日本人」を生んでいるものと思います。
私たちは、便利さを求めるあまり、その媒体となる「お金」に執着し、大切なことを失いながら、もっともっとの欲望に動かされていると思います。もう一度、日本に生まれたことに感謝し、「モッタイナイ」と「ありがとう」を大切にした生活に戻りたいものです。