~掃除道に生きる~田中義人ブログ

  • あの時のピンチのお陰で今がある。そして今。

    2010年11月01日

    東海神栄電子工業は、1969年、私が22歳の時、神栄工業の一社下請け企業として、社員7名で始まりました。その当時は、内張のないスレート工場で、機械は全て中古、人も集まらず、それはそれは劣悪な職場環境でした。

    1973年、26歳の時、第一次オイルショックが発生し、翌年、受注量が80%無くなる経営危機に陥りました。そこで親会社に救済を求めたところ、「ないものはない」と突き放され、下請けの悲哀を感じて親会社からの離脱を決意し、8年後の1981年、34歳の時に、神栄工業から独立しました。

    もし、あの受注急減の危機がなく順調に仕事を続けていたら、神栄工業と運命を共にし、今の東海神栄はありませんでした。その後、神栄工業は経営破綻しました。

    あの危機のお陰で、親会社から離れて独立が出来、今があります。

    1991年、44歳の時、日本経済のバブル崩壊により、36億円の売上が18億円に急落し、経営が困窮しました。しかしその年の11月23日、鍵山秀三郎相談役との出逢いにより、「掃除」を社内に導入して経営危機を乗り越え、掃除を活かした風土づくりを進めることができました。

    もし、受注半減がなかったなら、鍵山相談役との出逢いを活かすことが出来ず、あのままの経営を続けて規模を拡大し、今回の不況で大打撃を受けていたでしょう。

    あの危機のお陰で、「掃除と社員教育」を導入することができ、体質のよい会社となってきました。また、日本を美しくする会の設立にも協力できました。

    2010年、63歳の現在、一昨年のリーマンショックからの不況で、受注の急落と採算の悪化により、創業以来最悪の決算となりました。このことで、新アジア市場対応への企業戦略の見直しを始めることになりました。もし、今回のリーマンショックからの業績悪化がもう少し遅れていたら、社内体制の見直しが遅れ、時流から見放されたことでしょう。

    今回の危機のお陰で、経営を見直す機会ができ、ピラミックス成長理論の四段目に上がれるチャンスが到来しました。

    創業時から今日までの経過をみますと、必ず大きな節目を経て今日があります。その節目とは、危機とも言える困難やピンチです。しかし、その節目には、必ず新しい取組みが始まり、社員の人たちの成長と共に次の段階に上がってきました。まるでピラミックス成長理論を実証しているかのようです。ナカヤマ・グループは、きっといい会社になると思います。

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