7月に北海道襟裳岬へ行ってきました。襟裳は、昔は昆布と海魚の豊富な海として知られていましたが、明治初期に入植した人たちが、住宅資材や冬の暖をとる為に海岸べりの森林を伐採してしまい禿山となってしまいました。その荒地となったところから海に土砂が流れ込み、襟裳の海は泥海と化してしまいました。生活の糧としていた昆布漁、漁業は、それはひどいもので、極貧の状況が続いていたと聞きました。
そこで、今から51年前に、その砂漠化した大地にふたたび豊かな自然を取り戻すために人々は立ち上がりました。しかし、その間の苦闘は、プロジェクトXを見られた通り想像を絶し困難を極めましたが、多くの人たちの努力により、緑をよみがえさせるまでになりました。そして、今では、えりもは物心ともに豊かな町へと変化をとげられました。
この地に立ってみて、過去の緑を失った襟裳の歴史は、これからの日本の状況を指し示しているように思いました。今の日本は、目先の損得に走り、手当たり次第に物欲をむさぼっているように思います。それは、森の大切さを忘れ、森林を伐採し、海を荒らしている状況そのものであり、日本の素晴らしい精神文化、倫理観をないがしろにして、目先の欲に走り「物豊かにして、こころなし」の状況をかもし出しております。
そこから生まれる次の時代は、誰でもが手に入れることが出来た物の豊かさそのものも失い、同時に心の荒みも広がって物心両面から荒れ果てていくことになるのではないかと心配になってきます。
「十年偉大なり、二十年畏るべし、三十年歴史なる、五十年神のごとし」の言葉がありますが、えりも緑化運動50年の歳月は、まさに「五十年神のごとし」の世界を見せてくれました。「神のごとし」の言葉から、私たちは自然の一員として自然循環の中に生かされていること、その循環の中でこそ、真の幸せがあることを知りました。
現在、えりもの昆布漁は、漁の期間、採取時間、場所も決められています。そして、その採取方法は昔ながらの方法で、かつ、一軒で一人しか昆布漁が許されていません。一人だけ貪るような採取方法は許されず、みんなが自然の富を守りながらお互いに助け合いながら生活してみえます。それでも、今では一軒で年間一千万近くの収入があると聞きました。
継続は力といいますが、志を持った継続は、素晴らしい世界をつくりあげていくことを実感する研修となり、人生もかくありたいと思いました。