今朝も、観音堂の周囲や池の早朝掃除をいたしました。
数日留守にしていた間に、遅咲きの桜の花弁が池に落ち、水に混ざりこんでいました、そして、池の周りにも花弁がへばり付き、大変汚れていました。
そこで、まずは水中の花弁を熊手で何度もすくい上げてすっきりとさせました。その後、周囲にへばりついていた花弁も一つ一つ拾い上げることで、やっと元の美しい状態に戻すことが出来ました。掃除の後、すぐに数枚の花弁が舞い落ちてきましたが、新緑の草木とよく調和して、とても優雅な雰囲気を醸し出し、大変安らぎました。
実は、この掃除をした後の醍醐味を味わいたくて、掃除を続けております。
この体験は私だけではなく、先日も、ある小学校でトイレ掃除が終わった時、参加した小学生たちが「トイレがありがとうと言っているよ」、「明日、きっとビックリするね」、「こんなに楽しいと思わなかった」と生き生きと話してくれたことが、とても印象的でした。
最初は、臭いもきつく汚れて無機質なトイレに、おそるおそる手を入れていた子供たちが、汚れが落ちていくごとに表情が変わり、楽しいと話してくれるようになり、少しの汚れも見過ごさないほどに磨き上げていってくれました。
人間は本来、「相手に喜ばれた時、役立った時、喜びや幸せを感じるようになっている」のではないかと思うようになりました。特に掃除は、汚れた場であっても、手を入れることで本来の美しさを取り戻すことが出来きます。もっと突き詰めていくと、「相手の本来持っている美しさとよさ〔能力〕を引き出すことが出来る」からです。
そのことに気付いてから、私は、どのような場であったとしても、与えられた場の美しさと場のよさを引き出して楽しめる掃除にハマりました。
そして何よりも、掃除を通じて場や相手のよさを引き出していくことが、結果、自分自身のいいところを無意識の内に引き出し、自分の可能性を広げてくれています。
そのことは、24年前に鍵山秀三郎相談役と初めて出会った時、「私は、30年間、毎日、掃除を続けてきたお蔭で、人生も会社も大きく変わってきました」と言われたことが、実感できるようになりました。お陰様で、自分らしい人生を歩める楽しさに感謝しております。