1969年7月、22歳の時、父親の言われるままに会社を始めました。当時は、神栄工業の下請けとして片面ブリント配線基板を製造し、社員7名でした。当初は、経理のことも人の使いかたも分からず、また父親からの手助けもなく、あちらこちらに頭をぶつけながら日々の仕事に立ち向かってきました。だから、仕事がおもしろいとか、おもしろくないとか考える余裕もなく、現場仕事が終われば事務仕事と、早朝から深夜まで仕事をしてきました。
この43年間を振り返って感じたことを一言で言えば、「ピンチは、チャンス。何よりも経験が自分をつくる」。快適な環境に置かれ、総てが順調に流れている時には、いい話しを聞いても、それが身に付くことはありませんでした。むしろ自分を強くしてくれたことは、追いつめられ窮地に陥り、もがき苦しんでいた時に得られたことばかりでした。
確かに、もがき苦しんでいた時は、もう打つ手はなく、永遠に続くだろう不安にさいなまれましたが、何ヶ月も、何年も、その苦しみが続くことはありませんでした。
1973年、オイルショックの時、仕事量が20%になり、もうダメだと言うところまで追い込められ、下請けの悲哀を味合い、会社として独立する決意をしました。その後、親会社は無くなってしまいましたので、もしオイルショックがなかったなら、今の東海神栄はありませんでした。
1991年、日本はバブル崩壊により、経済不況に陥りました。多くの会社はリストラを行いましたが、当社も仕事が半減していく中、鍵山相談役との出逢いにより、「掃除」に救われ、一人もリストラをすることはありませんでした。そして40歳以上の男子社員が、休日出勤して最高の職場環境づくりに貢献し、生産効率を上げ、危機を脱すること出来ました。そのお陰で、掃除活動を大切にする会社となりました。
2003年には、ロボット制御用基板の市場クレームを出し、未曾有の補償金請求を受けましたが、全額現金で支払い、危機を脱することが出来ました。その時、過去に貯めていた預貯金のありがたさを知りました。そのお陰で、経営は、何時何が起きるか分からないので、最低限必要な預貯金を持つことの大切さを知りました。
こうして過去を振り返ってみると、逆境が大切なことを気づかせてくれ、次の成長を作ってきました。苦況の時、頭を抱えて悩んでばかりいても何も解決策は見つかりませんが、具体的に考えたことを繰り返し実行する中から、必ず活路が開けてきます。
最後まで投げ出さなかった人の上にのみ、克服の喜びが与えられます。「ピンチは、チャンス」です。