~掃除道に生きる~田中義人ブログ

  • 掃除は、現場力を高める

    2011年07月01日

    東北の仙台に(株)ホットマンという会社があります。この会社は、東北を中心に、イエローハットを73店舗、他に異業種の店舗も含めた90店舗を展開し、千人以上の社員を要する会社です。社長は伊藤信幸さんで、今日まで鍵山相談役を人生の師としてこられ、日本を美しくする会東北ブロック長として、掃除の普及活動にとても熱心な方でもあります。

    今回の東日本大震災では、全壊した店舗、浸水した店舗、崩れた商品等、多大な損害を受けられました。また、その後の余震により、折角、営業再開が出来たと思ったら、また閉鎖に追いこめられたりと、多くの困難な状況下に置かれながらも、一歩一歩前に進められ、今月、全店舗の再オープンが出来るところまできたとを連絡いただきました。

    余震が続く四月に、日本を美しくする会のメンバーと共に救援物資を持ち、ホットマン本社の伊藤社長を訪ねました。その時、伊藤社長から、「掃除活動のお陰で社員の人たちの動きが違います。すぐにでも再開にこぎつけられます。」と言われたことが、とても印象に残っています。確かに、ホットマンの社員の人たちは、自社での掃除は勿論のこと、全国各地で開催される掃除大会にも積極的に参加していました。その費用や時間は、膨大なものであったと思いますが、伊藤社長は、「掃除に勝る教育なし」の信条を貫いてこられました。

    よく、本当の評価は順調な時には分からないが、いざ困ったとき、急難な時に現れるといわれます。今回の災害時のホットマン社員のことが、上甲晃先生のデイリーメッセージに書かれていましたので紹介させていただきます。

    「海岸から少し離れたところにあるイエローハット石巻店。それでも、海岸から続く平地だから、津波の黒々とした海水が、忍び寄って来て、見る見る水かさを増した。危ないと思った近所の人達が、わずかばかり高くなっているイエローハットの駐車場に集まってくる。店内には客が数十人いる。とっさに、店員達は、総勢三十人ばかりの人達をすぐ斜め横にある四階建てのマンションに非難するように案内した。

    水かさが増す。どこにも行けない。イエローハットの店員達は、店にカップラーメンが保管してあったことを思い出して、決死の覚悟で取りに行った。お陰で、避難した人達は、空腹から逃れた。しかし、六人分が足りなかった。結局、イエローハットの店員六人が我慢した。励ますために、歌も歌った。『避難先とは思えないほど、みんなが一体となり、大変に愉快なひと時になりました』とのこと。

    その人達が、しはらくしてイエローハットの営業再開を手助けに来てくれました。恩返しというわけだ。店員がお客様を置いて逃げ出して、後々、ひんしゅくを買った店も、近くにあった。そのお陰げで、イエローハットの地域での評判は、一段と高くなったそうだ。」(デイリーメッセージ5月号より抜粋)

    後日、この石巻店の横で、スポーツクラブを経営していた松社長からも、ここは津波で三日間、陸の孤島となり本当に困りましたと聞き、その時の情景がよく分かりました。

    ホットマン社内には、身内を失った社員、家や車を流された社員もおり、店で働くすべての人が動転するような状況の中であっても、伊藤社長は、凛とした姿勢でもって「商売人は、とにかく一日も早く店を開くことが使命」として、全社員の先頭に立って困難に立ち向かわれました。その伊藤社長の気持ちに呼応するがごとく、社員の人達の働きは機敏で、再開に向けて全力で立ち向かい、他のお店がまだ再開できない中でも、最初に再開できたのがホットマンのお店でした。

    今回気づかされたことは、ホットマンでは、まず常日頃から伊藤社長が社員を信頼し、社員の成長を願い、教育の機会を常に与えてきてことが、自然に社風として現場に根づいていたことです。そして、危機に対しては、まずトップが真正面から受け止め、凛とした姿勢で臨むことの大切さを学びました。

    ホットマンは、今回の災害で多額な損害を被られたことと思いますが、それ以上に、今回の危機を次への成長の糧にされたものと思っております。

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