3月1日、母校である中津商業高等学校の卒業式に参列させていただき、193名の卒業生の姿を見て、46年前のことを思いだしていました。
実は、私の中学・高校時代は、いじめと劣等感の日々で、これと言った思い出もありません。中学の時は、だるまストーブの煙突に顔を押し付けられて大やけどをさせられたり、高校の時は、同級生に体育館裏に連れて行かれて脅されたり、修学旅行で酒を無理矢理飲まされて謹慎処分を受けたりと、常にみんなの笑い者にされていました。
それは、私がチビで、近眼で、成績も悪く、その上、運動神経や音楽才能がまるでなく、みんなから見たら、いいおもちゃのような存在だったからです。
これは後で分かったことですが、家の仕事が砂糖の卸売りだったため、子供時代常に砂糖を舐めて過ごしていたことが影響していたようです。
白砂糖の取りすぎは、脳細胞や視神経を犯しますので、小学生の時から極度の近眼となり、その上記憶力が極度に低下し、勉強にも身が入らず、大変苦労しました。そして対面恐怖症で、人前に出ること、まして人前で話しをする事など、考えられない臆病者でした。
高校卒業後は、推薦入学で大学に入りましたが、寮生活に入るや、ここでもいじめにあい殴られました。しかし、中学・高校でのいじめで、ある程度の抵抗力が出来ていたのか、それに耐えているうちにいじめが無くなりました。
そのうちに人前で話が出来るようになり、今では社長業もさせていただけるようになりました。その一番の要因は、祖父中山秀次郎の「何事も、誠意を持って接するならば、道はひらける」の生き方を見ていたからだと思います。
例えば、高校の授業では、生徒が先生を小馬鹿にして、先生の話を聞くことなく、自分勝手におしゃべりばかりしていました。その状況に憤慨はしたものの、とても注意など出来ませんでしたので、私はただ1人、姿勢を正して先生の授業を受けていました。そのことで先生は、私を大変可愛がってくれるようになり、進路指導までしてくださいました。
また、仕事では、お客様に大変迷惑をかけた時も、誠実にお詫びに行ったことで、お客様が同情してくださり、その問題解決のために素晴らしいコンサルタントの先生を紹介していただき、その先生のお陰で、職場がよくなったこともありました。
私は、自分に能力がなかった故に、少々馬鹿にされても耐えることしかなく、いじめた人に対しても、いつまでも恨むことはありませんでした。
人生を振り返ってみますと、例え能力はなくとも、何事にも誠意を持って接し、問題から逃げないこと(私は逃げられない立場に置かれました)から、経験を積む中で、よき人との出逢いが生まれ、人生が開花していきました。
大切なことは、小さなことでいいので、人に好かれること、役立つこと、を誠意を持って行っていくことだと思っています。