~掃除道に生きる~田中義人ブログ

  • 青少年による残虐な事件が多すぎます

    2014年09月01日

    この7月に発生した、仲の良い友達を惨殺し解剖した佐世保女子高生殺害事件は、本当に悲惨な事件で言葉もありません。

    容疑者は、幼い頃から学業優秀で、スポーツでも国体に参加するほど優秀なうえ、家庭も何の不自由もない裕福な暮らしだったとのこと。そして、父親は弁護士、母親は東大出で市教育委員会に所属されるほどの知識人であったと報じられています。

    一見、理想とされる家庭環境に育ちながらも、なぜ、このような凶悪な事件が起きたのでしょうか。多くの評論家により、昨年の秋に母親を亡くなったにも関わらず、春に父親が再婚したことが大きな引き金になっていると報じられていますが、原因は定かではないようです。

    私がこの事件を知った時、ふっと思い出したことがありました。それは、京都大学の学生で新洗組(早朝木屋町街頭清掃活動)の一人が、「大学で勉強ばかりしていると、研究バカになって人間がおかしくなっていくような気がします。こうして仲間の人たちと一緒になって街頭清掃をしていることで、人間としてのバランスがとれるような気がします。」と言ったことが印象に残っています。

    職場でもそうですが、仕事の効率を求めるがゆえに、掃除を外部委託している会社がありますが、得てしてそのような会社は、掃除人を下に見る傾向があります。

    学校でも掃除を外部に委託しているところもありましたが、生徒に妙なエリート意識を植え付け、自己中心的な意識を増長させるように感じました。勿論、ゴミが落ちていても拾うこともなく、平然としていることに驚きます。

    一方、どれだけ荒れた学校であっても、掃除を始めることで、生徒は汚さなくなり、マナーが向上していきます。そして、物を大切にするようになり、結果、人間関係も良くなっていきます。

    掃除は、単に場や物を美しくするだけではなく、そのものの持つ本質的な美しさや「いのち」にふれ合い、そこに喜びを見出します。

    世の中には、お金で買えるものと買えないものがあります。その買えないものが「いのちの喜び」ではないでしょうか。自然や人と触れ合わず、手伝いや雑務と言われる余分なことをさせない育て方が、無味乾燥な人間をつくりあげているではないでしょうか。私は、祖母から毎月のお墓参りを通じて「いのちのつながり」を教わりました。

    容疑者の両親は、娘の幸せを願い、出来うることをされてきたと思います。しかしながら、お金では買えない大切なことを教えることが出来なかったことが、今回の悲劇を生んだものと思います。

    京都木屋町の早朝掃除で一緒に掃除をした京大生の言葉が思い出されます。

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