22歳の時、私は社員7名と共に会社を任され、これまでに何度か会社の存亡がかかるような大きな問題に遭遇しながらも、ピンチが後々チャャンスとして活かされた、という経験をしてきました。今回は、この経験について述べてみます。
その1 バブル崩壊で売上が半減していく大ピンチからの脱出
1991年、日本はバブル崩壊により、中国の台頭と共に産業構造の大変革期に入り、軽産業と言われる繊維、家電、雑貨産業は一気に日本から中国へと移管されました。
東海神栄も、民生品基板を中心に、36億円あった売上が一気に半減していくこととなり、先行不安の中で打つ手を見出すことが出来ず、悩み苦しむ日々でした。
その時、偶然、イエローハットの鍵山秀三郎相談役との出逢いがありました。初対面ではありましたが、鍵山相談役が言われた「私は、30年間、トイレ掃除を続けてきました。お蔭で、人生も会社もよくなってきました。」という一言に導かれるようにして、翌朝から近くの神社の掃除を始めました。
そうして毎朝、汚れの酷かった境内を掃除していく内に、見違えるようにきれいになり、ある日、朝日の中に神社が光輝いて見えたのです。そして、神社に遊びに来る子供達もゴミを持ち帰るようになりました。その後、本殿やトイレの建替えが始まりした。
会社においても、40歳以上の男子社員を中心に土曜休日に出勤してもらい、徹底した掃除による環境整備を始めました。すると、職場から余分な物がなくなり、悪臭もなくなり、設備保全も出来て、月曜日から仕事がスムーズにできるようになりました。
そして、社員の人たちの、会社を良くして行きたいとの共通した気持ちが高まり、高度な産業機器分野への挑戦となっていきました。
教訓 徹底した掃除の実践
- 景気を嘆く前に「今ある経営資源を活かし切っていくこと」から始めました。
- 掃除は総てを包含する力があり、会社が本来持っていたよさを引き出してくれました。
- 掃除で場のエネルギーが上がり、新しい産業機器分野への転換できました。
- 残ってくれた社員間の人間関係と信頼関係が高まりました。
その2 市場クレームを起こし、多額の賠償金を払うピンチから学んだこと
2003年、プリント配線基板製造の工程の中でも重要なメッキ工程に、最新鋭の生産設備を導入いたしました。
最新鋭のメッキ設備ではありましたが、設備管理を徹底することなく、その上、製品の品質管理も不十分のままに量産に入ってしまいました。そして出来上がった製品は、ロボットの制御用基板として最終ユーザーの生産ラインで使われましたが、その生産ラインで問題が発生したのです。
その時にはもう大半が市場に出ており、全数回収することとなりました。その対策には膨大な補償額が発生するとの報告を受け、会社は倒産するのではないかと悩みました。
しかし肚をくくり、直接トップ自らが先頭に立ち、誠意をもって客先に詫び、発生する回収費用と代替え品の総てを負担する旨を伝えました。それからしばらく眠ることができない日が続きましたが、半年後にはほぼ全数回収することが出来ました。
費用は8千万かかりましたが、緊急時の為に貯めておいた預金で救われました。
その経過を見ていた父親から、鍵山相談役の書かれた「過去相も現在相も決定相ではない。あくまでも過程相に過ぎない。」という励ましの言葉をもらったことが思い出されます。
教訓 お金は、後で儲ければいい。まずはトップ自ら誠意を持って対処する事。
- 起きた現実は、素直に受け入れる。
- 社員に責任を求めるのではなく、トツプが先頭に出て対処すること。
- 何が大切なのかを見極め、お金に執着しないこと。お金は、後で儲ければいい。
- 社員との信頼関係、取引先との信頼関係を大切にする。
- 設備導入に関しては、十分な事前調査と品質管理を行うこと。
- 顧客との信頼関係で一番大切な事は、品質であり、嘘は言わない事。
常に、心していく事
- 経営していると、何が起きるかわからない。
- 常に余裕資金を持ち、実質無借金経営を目指すこと。
- 社員教育をおろそかすることなく、もしもの時の為に力を付けさせること。
- 社員と会社の情報を共有し、信頼関係をきづいていくこと。
- 掃除は、今ある経営資源を活性化させる最大の力を持つ。