今井正明先生著「GEMBA KAIZEN」記載の東海神栄電子工業の紹介(1)
今回は、海外で発刊された今井正明著「GEMBA KAIZEN」(ゲンバ・カイゼン)に書かれていた内容を、一部加筆・要約して、二回に分けて紹介いたします。
テーマ「5S(掃除)・自己規律・標準化」
東海神栄は、地方都市にあり恵那市では優れた社員を得ることは難しかった。田中氏は常に教育という問題を考えていた。専門教育を受けた社員を雇えなかった為に、田中氏は、統計的品質管理やエレクトロニクスといったテーマについて社員を教育する必要を感じていた。
そこで、地元の高校の先生に頼んで電気工学の基本を講義してもらったが、その内容が難し過ぎ、次に中学の理科教科書を使って教えてもらいましたが、それでも社員に通じることなく先生の方から辞退されました。
次に、品質管理のコンサルタントに来てもらい、現場指導をしてもらうことにしましたが、コンサルタントの先生も、しばらくして現場に行かなくなり、田中社長とおしゃべりばかりするようになりました。現場の人たちには、コンサルタントの先生の言っていることが理解できなかったからです。
このことから、社員教育を外部の人に頼ってはダメだと感じた田中氏は、社員教育は社長である自分の仕事ではないかと気が付きました。そこで、自分の考えを伝えるためにも、まずは社員の意見も聞く必要性を感じた田中社長は、定期的に社員と意見交換をする場を持つことにしました。
1988年、田中社長をリーダとして相互学習の研修「秀観塾」が始まりました。秀観塾は、毎月一回、土日を利用した2日間の合宿で、全社員が年に一回は参加することとなりました。その内容は、仕事に関係することではなく、社員の悩みや求めることを自由に議論し、コミュニケーションを高めることを目的としました。
土曜日は、テーマに沿った議論を行い、夜はバーベキューを楽しみ、翌日の午前中を使って議論した内容をKJ法でB紙に書き出し、全員で発表して終わりとしました。この繰り返しで、社内の人間関係もよくなり、少しずつ自分たちが抱えている問題も話し合えるようなりました。その結果、毎月の決算内容もオープンにして、経営計画作成も社員参加で行えるようになっていきました。
しかしながら、1991年、日本はバブル崩壊で産業構造が根底から変わっていく状況に陥りました。特に、東海神栄で製造しているプリント配線基板のユーザー先は、家電メーカーでしたので、その後、大半が中国に移管されることとなり急激な受注減となって経営の危機的状況を迎えました。
経営危機を迎え、塗炭の苦しみの中、活路を模索していた時、イエローハットの鍵山秀三郎社長と出逢いました。そこで、相談したところ、鍵山社長から「私は30年間、毎日トイレ掃除をしている。お陰で、人生も会社も変わってきた」との話に感銘を受け、すぐに翌朝から近くの神社の掃除を始めました。
その神社には、境内の入り口に駄菓子屋があり、子供たちはお菓子を買って境内で遊ぶものですから、境内は菓子の袋がゴミとして散らばっていました。そのゴミ拾いを続けていくことで、境内はすっかりきれいになり、次に境内のトイレ掃除を始めました。時々、その様子を見ていた中一の娘が手伝ってくれるようになりました。
田中社長は、掃除をすれば人々の態度が変わるということを鍵山社長から聞いていましたので、それが本当だったと確信をもつことが出来ました。思い出深いのは、娘がトイレ掃除を手伝ってくれた後、「今日のトイレはすごく汚かったけど、きれいになってよかった。」「次に使ってくれる人が喜んでくれる。」と嬉しそうでした。他人を喜ばせることが自分を喜ばせる第一歩だと、田中社長はそう実感しました。
このように神社の境内からゴミが消え、トイレもきれいになっていくと、子ども達はゴミを捨てなくなり、トイレも汚さずに使おうとする気持ちが生まれると気が付きました。神社の掃除から、環境が人の心に影響を与えることの大きさを知り、何よりも、掃除することで強い自己規律が生み出されることを学びました。
この体験が、社内での清掃活動と大正村掃除に学ぶ会開催へと広がっていくこととなりました。
(次月に続きます)