令和7年1月2日、鍵山秀三郎相談役が、享年91才をもって逝去されました。
鍵山相談役は私ども夫婦の人生の師でもあり、日本を美しくする会の創設時から鍵山相談役ご夫妻と共に、日本各地、ブラジル、台湾、東欧へと掃除道の普及活動を共にさせていただき、なくてはならない偉大な存在でもありました。
思い起こすに、鍵山相談役は平成3年11月24日 イエローハット・多治見店の新規オープンに合わせて、前日23日の恵那ハガキ祭りに参加されました。その日、ホテルの予約をしていなかったことで、急遽、恵那のビジネスホテルに泊まることとなり、その夜、ホテルに泊まる8名の方が私の家に来られました。
鍵山相談役とは初対面で、その時、「私は30年間、毎日、トイレ掃除をしてきました。お蔭で、人生も会社も大きく変わってきました。」と、姿勢を正して語られました。私は、この言葉がまるで雷に打たれたように全身に走り、その夜は眠ることができませんでした。
実はその頃、日本経済はバブル崩壊と同時に中国の経済の自由化が始まり、日本の家電産業や軽工業が中国に急速に移管されていく時でもありました。当時の東海神栄電子工業の主たる製品は、家電や遊戯機器に使われるプリント配線基板であり、その大半の最終製品が中国に移管されていきました。
当時、東海神栄の売上は36億ありましたが、年々減少し、このままでは仕事がなくなっていく危機感と焦りで苦悩の日々で、これという打開策もありませんでした。そのような時でしたから、鍵山相談役が言われた「掃除をして会社が変わった」、この言葉に心が引き込まれ、翌朝から近くの市神神社境内の掃除を始めました。
その神社の前には駄菓子屋があり、子ども達が駄菓子を買っては境内で遊ぶものですから、食べ残しや包装紙で、境内はまるで汚れた絨毯をひいたかのような有様でした。
以降、私は毎朝6時30分頃から30分間、境内の掃除を始めたのですが、当初は大きなゴミ袋が3袋できるほどでした。その後、境内のトイレの掃除も始めました。昔ながらのトイレで、子供たちが安心して使える状態ではありませんでしたが、掃除をすることで、どうにか使えるようにはなりました。
三ケ月もすると、すっかり境内も美しくなり、神社らしくなってきました。その頃から子ども達はゴミを捨てなくなり、境内にある壊れた遊具も修繕され、朽ち果てた神殿が建て直され、トイレも男女別の水洗トイレに建て直されました。そして、神社の入り口には立派な神社の由来が刻まれた石板まで建てられました。
この変化を見ていて、鍵山相談役が言われた「掃除が会社を変えていく」ことへの確信が得られ、会社に取り入れることとなりました。
当時、同業他社では、廃業やリストラが始まり、業界内には不安感がみなぎっていましたが、東海神栄では一人たりともリストラをすることなく、この状況を乗り切っていくことを決め、「40才以上の男子社員には、月2回の土曜休みに出勤してもらい、徹底した社内清掃と毎朝の早朝掃除を行う」ことを提案しました。
そして、早速、掃除活動を始めた処、数か月の内には職場がすっかり整理整頓され、設備の保全管理も出来るようになりました。その結果、仕事の無駄がなくなり、作業効率が高まり、不良が激減していました。当初は40才以上の男子社員が中心でしたが、職場の変化を見ていた他の社員も掃除に参加するようになり、自然と全社員が掃除に参加するようになりました。そして何よりも、職場の人間関係がよくなり、風通しのよい風土となっていきました。
掃除を通じて社内風土が変わって行く中、全社員参加の経営計画作りが始まり、これまでの家電や遊戯機器関係の仕事から、ロボットや工作機械の制御機器に使われる高度なプリント配線基板への移行が行われるようになり、経営の危機を乗り切って今日まで来ることが出来ました。
この間、鍵山相談役から直接指導を受ける中で、地域の二十一世紀クラブの仲間達と共に、1993年11月7・8日に岐阜県恵那市明智町の日本大正村のトイレを借り、第一回掃除に学ぶ会を35名の仲間で開催いたしました。これが切っ掛けとなって、毎年、大正村で掃除に学ぶ会を開催することとなり、まるで波紋が広がるように仲間から仲間へと広がり、全国47都道府県下120ケ所に、そして海外ではブラジル、台湾、中国、ルーマニア、イタリア、ハンガリーへと広がっていきました。
鍵山相談役は、戦後の日本が高度経済成長を遂げて経済的に豊かになった半面、それまでの日本人が大切にしてきた道徳心、勤勉性、そして忍耐力さえもが薄らぎ、社会規範が乱れ、「自分さえよければ、今さえよければいい」と考える人が増え、詐欺行為や凶悪犯罪が多発するようになってきたことを常に憂いてみえました。
このままでは日本国が破綻するのではないかと危惧され、掃除を通じて生活を見直し、望ましい社会規範と、健全な社会を取り戻していきたいと念願されて「日本を美しくする会」を設立されました。
以来、鍵山相談役は、全国各地で開催される掃除大会や学校に、さらには海外にも積極的に出向き、ひたすら掃除の実践・指導に精励されてきました。そして、この相談役の率先垂範の姿にふれた人たちが掃除を広めてきました。
鍵山相談役は、常に弱者を大切にされ、下座に徹して、一人一人の気づきを大切にされてきました。特に、問題が生じた時、安易に解決策を外に求めるのではなく、まずは手元にあるものに目を向け、徹底して場を磨きあげていくことで、今あるもののよさを引き出し生かし切っていくこと。
市神神社の例ではありませんが、掃除はすべてを包み込んで、そのものが持っていたよさを引き出し活性化していく力があります。そして何よりも、掃除を通じて人間関係もよくなり、道徳心や忍耐心も取り戻されていきます。
正に「掃除を通じて世の中から心の荒みをなくしていきたい」との一貫した無私の姿勢で、多くの人たちに影響を与え、掃除人の心の支えとなってこられました。掃除道を社会活動にまでされた鍵山秀三郎相談役の功績は、未来永劫、歴史に刻まれるものと思っております。