この度、10月1日をもって、私、田中義人は、東海神栄電子工業(株)の代表取締役社長を退任し、これまで代表取締役専務の秋山浩司が代表取締役社長に就任いたしました。
後任の秋山新社長は、工学系出身の仕事熱心で誠実な性格で、社員からも信頼されていますので、これからが楽しみであります。よきバトンタッチができましたことを報告いたします。
さて、会社の生い立ちですが、 昭和47年7月に、東京の神栄工業の下請けとして東海神栄電子工業が誕生しました。当時、私は就職先もないまま大学を卒業し、右も左も分からない気弱な22歳の青年でしたが、恵那に帰り、父親から7名の社員を与えられ、経営を任されました。
以来49年間、東海神栄電子工業の経営に携わり、その間に父親創業の(株)ナカヤマと(株)中山理研の経営も任され、今日まで来ることができました。この49年の間に多くの難問に遭遇し、よくぞ乗り切ってきたものと思っております。
特に、オイルショック、ドルショックにより仕事が80%急減した時、次に、バブル崩壊により主力の民生基板の売上が半減した時。また、大型設備導入時に設備チェックをおろそかにしたことで市場クレームを起こし、約8千万円の補償をしたこと。一方、ナカヤマの経営を引き継いだ時、私の経営方針に反発したナカヤマの幹部が、部下を引き連れて別会社を立ち上げこと。本当にいろいろとありました。
しかしながら、それらの難問があったゆえに、今日まで経営を続けてくることが出来たと言えます。
例えば、仕事が80%なくなったお蔭で親会社から独立する決意をし、5年後に独立できました。もし、親会社と運命を共にしていたら、今頃は親会社とともに会社はなくなっていました。
次に、バブル崩壊により民生基板の海外移転の流れを知り、産業機器基板にシフトできました。そして、バブル崩壊で危機に瀕したお蔭で、鍵山秀三郎相談役との出逢いがありました。また、市場クレームのお蔭で、品質向上に力を入れて品質が上がり、優良客先との取引が出来るようになりました。
一方、ナカヤマにおいても、主要幹部退社のお蔭で、グループ全体での人材教育の場として秀観塾を始めることができ、グループ共通の社風形成ができました。
正に「禍福はあざなえる縄のごとし」の言葉の様に、困難な問題や嫌なことが起きたお蔭で、会社や人生がよくなり、逆にラッキーと思って有頂天になっていたことが、後に大きな問題を起こしたりしたものです。
そこから学び得たことを書き出してみます。
1.若くして問題から逃げられない立場に置かれたことです。人間は追い込められると必死になるもので、経験に勝る能力なしです。問題から逃げないことです。
2.今いる社員が社員であることを忘れないことです。悔しかったら育てることです。
3.必死にもがき苦しんでいると誰かが手を差し伸べてくれるものです。その時のよき友、よき師との出逢いが、その後の人生を変えてくれました。社外に仲間をつくることです。
4.常に収支を頭において、困った時は、まず自らの身を削ることです。
5.常に理想の会社像を持つことです。ピラミックス成長理論実現が私の夢です。
この49年間の経営経験から言えるのは、トップが理想とする会社像を掲げ、今いる社員と共に理想実現に向けて経営に邁進することです。
その為の土壌づくりとして 「挨拶をします。掃除をします。履物をそろえます。」を習慣化し、社員の人間的成長を大切にした経営をしていくならば、ピンチをチャンスに転化できる力が発揮され危機を脱していくものです。総ては人にあり、信頼関係にあります。