日本の高度経済成長期がピークを迎え、衰退期に入ろうとしていた1991年、会社は重大な危機を迎えました。日本の産業構造が大きく変わり、仕事の多くが中国に移管される中、その波に飲み込まれた企業の倒産、リストラが話題にのぼる日々となりました。
我が社も、オーディオ関係の中国移管が急速に始まり、国内で生き残る道が閉ざされていく危機が迫っていました。
そのような状況の中、1991年11月23日に、現イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんとの出逢いがありました。その時、鍵山さんが「私は30年間、毎日トイレ掃除をしてきました。お蔭で人生も会社もよくなってきました。」と話された言葉が、八方ふさがりで、もがき悩み苦しんでいた私に、まるで稲妻のように身体に入ってきました。
その一言に導かれるように、翌朝から自宅近くの市神神社境内の掃除を始めました。その神社は、年に二回だけ神事があり、その時だけは掃除をしますが、通常は子供の遊び場となっていて大変汚れていました。そこで私は、毎朝、6時から境内の掃除を続けたところ、半年程立った頃には、もうすっかりゴミはなくなり美しい境内に変わりました。
ある日のこと、いつものように掃除を終えて帰ろうとした時、朝日がまるでスポットライトのように差し込み、神社が光り輝き、その神々さしさに「ああ、ここは神社だったんだ」と思わず手を合わせたものです。
よく見ていると、境内が見違えるほどに美しくなったことで、遊びにくる子供達は増えているのにゴミを捨てなくなり、壊れた遊具もお年寄りたちが直してくれるようになりました。同時に、板塀が朽ちていた神殿の建替えが始まり、汲み取り式のトイレも立派な水洗トイレに立て替えられ、この神社にふさわしい施設がつくられていきました。
この変化を見ていて、「これまで何も変わらなかったところが、環境を美しくしていく事で大きな変化を始める」ことに気が付きました。
この神社での気付きを一人でも多くの仲間に知らせたく、鍵山相談役の力を借りて、1993年11月7・8日に仲間35名と共に、日本大正村(恵那市明智町)で「第一回掃除に学ぶ会」を開催しました。その後、このトイレ掃除研修に感動した仲間の呼びかけで回を重ねることとなり、波紋のように仲間から仲間へ、国内各地や海外へと広がっていくこととなりました。
一方、掃除で希望の光を感じた私は、社員に呼び掛け、40歳以上の男子社員を中心に、工場の休日を活用して社内清掃活動をすることとなりました。その結果、多くの不用品を撤去し、設備を磨き上げて保守点検まで行い、月曜日から完全稼働できるようにしていったことから、すっきりと落ち着いた職場環境となり、不良品も少なくなり、作業効率も向上して、社内のコミュニケーションも良くなっていきました。
同時に、新しい取り組みも始まり、日本が得意とする産業機器分野への方向転換も急速に進めることができ、危機を脱することが出来ました。
現在は、神社のトイレを借りて、毎週火曜日の朝7時からトイレ掃除リーダ研修を行っています。また、毎月25日には、境内の清掃・草取りをしております。
このように市神神社のお蔭で会社は危機を脱する事が出来、今日まで来ることができました。これからも、「掃除は、人も組織も根底から変えていく力」を教えてくれた市神神社の掃除を大切に、職場においても掃除を徹底していくならば、企業の風土はよくなっていくものと思っております。