2月11日に、上甲晃先生の呼びかけで、全国各地から650名の人たちが東京の会場に集まり、「国家百年の計の会」が開催されました。
これから日本の百年を見据えて、各方面からの提案があり、その中に私の時間もいだたき、下記のことを提案させてもらいましたので、今回はそのことを記載いたします。
私は、鍵山秀三郎先生の下で、27年間、日本を美しくする会として掃除活動をしてきました。その体験を踏まえて話をさせていだたきます。
昨年1月、中央教育審議会(中教審)が答申した「教師の働き方改革」についてです。その中で、特に掃除について、「学校の掃除は外部業者やボランテイアに任せ、できる限り、教師には掃除を行わせないように努めるべきである。」との答申が打ち出されました。
しかし、そもそも政府が進めております働き方改革には、大きな問題があると思います。
これまで日本人は、働く事を通じて、喜びや人間的な成長をしてきました。確かに、過度な労働や不当な時間外労働の問題があることも事実ですが、その働き方改革の根底には、労働は苦役であり、対価としてのお金が位置付けられており、お金中心思考となっている事が見受けられます。
その為、現場においては、人間性を無視した効率、生産性を強いる結果となり、これまで日本人が培ってきた勤労観を根底から崩すことになりました。
これが教育行政においては、教育現場に効率と結果主義が持ち込まれることとなり、子ども達の勉強に直接関係しないことを省く傾向が出てくるのだと思います。そのため「教師は極力掃除をしないこと」になったのだと考えられます。そして、その根拠の一つに、「外国では、教師が校内清掃の指導を担っている例が少ない。」とありますが、誠に恥ずかしいことだと思っております。
その一方で、学校教育において、道徳教育の必要性も述べられていますが、道徳教育は上から目線で教え込むものではなく、上下に関係なく、むしろ上に立つ者が率先垂範して身を挺して示していくものであり、掃除こそ、共に下座に降りて環境をよくしていく美化作業ですから、これほど素晴らしい道徳教育はないと思っております。
先ほども言いましたように、私は、鍵山秀三郎先生の下で27年間掃除活動に携わり、この10年は海外での活動を積極的に進めてきました。
これまでの経験から言えることは、どれだけ荒れて酷かった学校であっても、学校長や教師が生徒と共に掃除を行うことで、見違えるほどによくなっている事例が山ほどある、ということです。それは、人間の思考は環境の影響を受けるということであり、また、人間は環境を作ることができる能力を持っている、という事です。
この考え方の下に、海外で、台湾、イタリア、ルーマニア、トルコ、チェコ、ハンガリーで、掃除活動を広めてきました。
特にルーマニアでは、この9年間毎年行っていますが、ルーマニアの第二の都市であるクルジナポカ市は大変美しい街に変わりました。中でも1600名が在籍していますジョージ・コスブック公立一貫校での掃除の取り組みは、今、ルーマニアの中でも大きく評価されています。昨年5月には、学校創立100周年記念大会として、450名の生徒、先生、父兄が集まって公園で掃除を行いました。
トルコでは、昨年、第三の都市イズミールにて、トルコ国民教育省とジェトロの協賛で5校での掃除大会を行い大成功し、また今年も4月に行われます。イタリアでも、この6年間、市民参加の地域清掃が継続して行われ、地域コミニテーがよくなり、安全な街づくりに役立っています。
これまで西洋では、公共の掃除は身分の低い人たちが行うものとされてきましたが、身分の差を問わず、共に下座に降りて、環境をよくしていく日本の伝統文化が、今こうして世界の人たちに見直されてきています。正に、上下にとらわれず、自らの手足を使い、環境をよくして人間らしい社会を取り戻す活動になっています。
その点からも、掃除こそ、上に立つ者(先生方)が率先垂範して行うべきものであり、健全な道徳的価値観を育んでいけるものであります。
このまま中教審の指針のように、先生方が掃除から離れていくことは、教育のベースとなる教育土壌の放棄であり、生徒たちの情緒面での心の落ち着きや人間的つながりをなくし、本来の学業も低迷していくのではないかと危惧しております。
「先生方は、掃除をしなくてよいとの答申」、この愚策を改めてもらうことを提案いたします。